キタオの想い
心通じ合う中東の国クエート
2014.06.23
国会が会期末の大詰を迎える中、「集団的自衛権」や「集団安全保障」の議論に、与党は自民党と公明党の意見の食い違いを露呈している。 ニュース報道を観ていると「機雷掃海」という言葉を耳にし、1990年8月に勃発したイラクのクエート侵攻に端を発する湾岸戦争を思い出してしまう。
湾岸戦争はイラクと米欧を中心とする多国籍軍との間で戦われたが、日本は憲法の歯止めもあり、戦いそのものに参加することはなく130億ドルに及ぶ金銭的貢献に終始した。 この支援は感謝されることもなく、逆に「日本は血も汗も流さない国」と批判され、クエートの謝意表明の中に日本の国名はなかった。
湾岸戦争終盤にクエートは石油輸出再開を望んだがペルシャ湾に敷設された機雷のため、タンカーの運航ができず、復興の妨げとなった。
日本にとっても原油輸入に支障があることで、憲法議論もそこそこに自衛隊機雷掃海部隊のペルシャ湾派遣が決定された(1991年)。国の内外からは強い批判が浴びせられ、自衛隊初の海外派兵は、人目を避ける様に行われた。しかし、危険を顧みずペルシャ湾機雷掃海任務を果たした自衛隊の帰還を歓喜で迎えた日本国民の人間性には理解に苦しむ面もある。
「集団的自衛権」の議論が熱を帯び始めていた今年4月6日、関西の人々の記憶からは遠ざかりつつあった東日本大震災復興に関連した明るいニュースが流れていた。 津波で壊滅状態となっていた三陸鉄道北リアス線、南リアス線全線開通のニュースだった。 こたつ列車でおなじみの三陸鉄道は元々赤字鉄道で、震災復興のシンボル的な期待があったもののそのダメージから立ち直るのは困難であった。
そんな事情を知ってか三陸鉄道復興に破格の支援を行ったのは、クエート国であったことを知る関西人は少ないかも知れない。 湾岸戦争からの復興のために自国から非難を浴びながらも、汗を流した自衛隊の献身的な働きに本当に感謝していたのはクエート国民であった。 その証しは三陸鉄道新車両に小さく刻まれている。
※写真はインターネット上の掲載写真流用